自分が毒親育ちだと気づいた時、私自身は失った人生に絶望を感じ、親への怒りや嫌悪感がこみ上げてきました。
それから数年、どう生きればいいんだろうと試行錯誤してきて、やっと生きづらさから解消されつつあります。
この記事では、数年前の私に向けて、私が毒親育ちを脱するためにしてきたことの中から、してよかったことと注意すべきことをまとめてみようと思います。
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【してよかったこと】
親から物理的に距離をとる
私自身は、大学進学の時に親元を離れていますが、度重なる電話や荷物に悩まされており、親の干渉からは逃れられずにいました。
親が毒親かも…と思った矢先に、実家で大ゲンカとなったため、それを機に絶交しました。
親から距離をとって一番よかったことは、親のマウントポジションを一旦解除できたこと。
格闘技をイメージするとわかりやすいですが、マウントされた状況ではボコボコにやられるか、せいぜいダメージを軽くするために身を守るくらいしかできません。
でも、一旦引き離されると、体制を整えることができ、冷静に立ち回ることができるようになります。
さて、実際に距離をとっても、生まれてこのかた、マウントポジションをとられた状態でしか生きてきてないので、最初はふわふわして罪悪感や不安を感じ、元に戻ろうと血迷います。汗
それは、禁煙を宣言しておいて、タバコに手が伸びるのと似てる……そう、依存なんです。
そういうこともあるので、距離を取るなら思いっきり。
(私自身はもう二度と実家の敷居はまたがないつもりで、実家を出て来ました。)
罪悪感や不安からではなく、自分の意志で戻ろうと思える時が来たら、その時に戻ればいいのです。
自分の感情を表現する
毒親育ちだと認識して以来、親の言動の1つ1つが、自分ではなく親自身のためだったんだと思えて、怒りや嫌悪感が次々に沸き起こってきました。
それらは、本来は起きた時点に気づき、発散すべきだった感情たち。
上から押さえつけられたり、我慢してきたことで、心の中に蓄積していたんですね。
自然に消えるなんてことはないんだ。
だから、そういう感情が起こったら、今度こそ我慢せずに、自分の体の外に排出しないといけない。
私自身は、SNSやブログ、音楽制作で発散してきましたが、紙に書いて破り捨てるもよし、自分が納得できる方法で表現するのがいいかと思います。
客観的な視点を養う、という意味では「文字にする」ことがおすすめ。
でも、難しいのが、これまで自分の感情を無視し続けてきたせいで、自分の感情に気づきにくくなってるってこと。
私自身は「今はどんな気持ち?」といつも自分に問いかけてる。
自分のことなのにおかしいって思うでしょ。
でも、調べてみると、自分の中にもう1人自分がいる感覚って、毒親育ちにはよくあることらしい。
ふつうの人は幼少時代に感情や欲求を親に受け止めてもらって、自己肯定感を養うみたいだけど、私はこれから親に代わって自分の声を聞く。
だから、自分の自己肯定感は0歳児。
「自己肯定感」と言うと、まるで自然発生的な感覚みたいだけど、「自己肯定」は意志だから。
きっとそのうち持てるはず。
毒親問題について学ぶ
「毒親」という単語は、なにかと誤認を与えてしまいかねないし、私自身は「毒親」という単語を使う人はすべからくスーザン・フォワード著『毒になる親 一生苦しむ子供』を読むべきだと思います。
そもそも、親を糾弾するために使う単語じゃないし、親を糾弾すれば解決するような簡単な問題じゃない。
たとえ復讐したとしても立場が変わって、自分が親を苦しめる人間になるだけ。
自分の心の問題を改善しようともせず、親のせいにだけして、親を苦しめてスッキリするなんて、それこそ親に依存してる人のすること。
それを「私は毒親育ちで〜」と武勇伝みたいに語られると、世間の「毒親育ち」への理解が深まるどころか、偏見がより一層強まってしまうからやめてほしい。
それよりも、どうして自分がそういう思考に至るのか、自分の人生を今後どうしていきたいのか、そのヒントを得るために、学ぶことはとっても大事。
私がこうして落ち着いて話題にできるようになったのも、学ぶうちに自分の心の整理ができたし、いろんな視点から物事を考えられるようになったからです。
知は力なり!
自分の心の問題と向き合う
確かに、自分が生きづらい人生を生きるハメになったのは親のせい。
でも、24時間365日、親がべったりそばにいて、あれこれと口を出してくるわけじゃないのに、すべて親のせいでしょうか?
じゃあ、自分を動かしてるのは誰?
……そう、自分なんです。
だから、毒親問題で真に向き合うべきは、親じゃなくて自分。
毒親育ちは、いわば生きづらい言動を選ぶようにプログラミングされたようなもので、親はプログラマー。
だから、生きづらさを解消しようと思ったら、プログラマーをぶち殴ったり説教を垂れるんじゃなくて、間違ったプログラムを修正しないといけないんです。
私の場合、例をあげると
- 断ると嫌われそうで断れない
- 休んだら怠けてるようで罪悪感がある
みたいな考え方があって、無理して病んでしまうことが多々ありました。
客観的にはおかしいことでも、それが当たり前だったから問題だと気づけなかったんですね。
今はそういう場面では、「大丈夫だよ」と自分に言い聞かせながら、無理しない暮らし方ができていますが……
そういう問題に気づくためには、自分の心におかしな点はないか、向き合う必要があるのです。
「なんでこんなプログラミングやっちゃってるんだよ〜」
と、凄腕プログラマーになったつもりで取り組みましょか。
【注意すべきこと】
ここまで、私が毒親育ちを脱するためにしてきたことの中から、してよかったことを紹介してきましたが、注意すべきことがあります。
人に打ち明けるのはリスクあり
どんなに親しい人でも、毒親問題について理解が得られるとは限りません。
良好な家庭環境で育った人は、親に感謝するのが自然なので、まずもって否定されるかと思います。
私の夫も最初は否定派で、実際に私の親と接触して初めて毒親という概念を理解してくれたので、、
それくらい、良好な家庭の人には理解できないものなんだと思ったほうがいいです。
SNSで打ち明ける人もいますが、毒親育ち同士での不毛なマウントが発生したり、わざわざ嫌味を書いてくる人もいたりして、同じような境遇の人と傷の舐め合いができる以外にメリットはないかな〜と思います。
無理せずプロに頼ること
毒親育ちを克服するためには、自分の弱さや汚さとも向き合うことになりますが、相当なストレスです。
場合によっては、克服しようとすることでかえって心を病んでしまうこともあるかもしれません。
私自身は、夫の献身的なサポートがあって、なんとか自力(と言うのかなんなのか)で向き合えてこれましたが、罪悪感や希死念慮にさいなまれることも多々あったので、1人では難しかったかも、と思います。
しんどい場合は無理をせず、心療内科やカウンセリングなどプロに頼ることも視野に入れてください。
結果を急がないで
数十年かけて身についた心の問題は、そう簡単には解消できません。
利き手の逆の手でお箸を扱うことにたとえてみましょうか。
そうすぐには、使えませんよね。
「今日は利き手のままでいいか〜」とか「スプーンを試してみよう」とか「今日は手でいっちゃえ」くらいに、適当に、気楽にやっていれば、そのうちうまくコントロールできるようになると思います。
心も同じ。
頑張りすぎず、あきらめず。
親との関係は親が死んだら終わりだけど、自分とは死ぬまで付き合っていかないといけないんだから、適当で気楽なのが一番長続きすると思います。
【楽しい人生にしましょう】
毒親育ちだと気づいて、どんな気分ですか?
私自身は、後ろ盾を得た気分でした。
完璧で逆らえないと思っていた親のほうが、実はまちがってたんだと。
親から教わったいわゆる「常識」や「当たり前」のすべてが疑わしいものに変わり、すべての言動を自分の意思で選択することの自由と責任がやっと自分のものになったって感じ。
アラフォーですが、やっと親離れできたかな。
これからの人生、どう生きてやろうかと思うと、ワクワクしますよ。
なので、毒親育ちだと気づいたことを悲観しないでください。
おめでたいんだとお祝いしましょ。
そうだと気づかずに、孤立したり、精神を病んでいく人もいる中で、気づけただけで超ラッキーなんですから。
失った時間は大きいかもしれないけど、今日までやってきただけの、優しさや忍耐力や状況判断能力は、そんじょそこらの人には負けないと思います。
あとは、そのエネルギーを自分に向けるだけ!
楽しい人生にしましょうね。