私は小学生の頃は、学級委員に立候補するような「いい子ちゃん」だった反面、不良に憧れていました。
汚い言葉をつかうと、自分が不良になれた気がして、小気味よかった。
そんな私が、どうしてきれいな言葉をつかうことをおすすめするのか、この記事にまとめてみたいと思います。
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【言葉の汚い人は大切にされてない人】
当時の私は、大人の前ではいい子ちゃんで、同級生の前では悪ぶってみせるようなことをしていました。
大人向けに抑圧していたメンタルを、そんな風にして自分なりにバランスをとっていたんだと思います。
大人になってもその癖は変わらず、不動産会社で働きつつライブハウスに出入りする、みたいに相変わらずいい子ちゃんと不良を演じていました。
品のない言葉をつかう人とも交流しましたが、根っからの不良ではない私はなじめず。
かと言って、ふつうの生き方もできずに、もやもやとした自分探しに多くの時間を消耗して今日に至ります。
そんなわけで、それなりにたくさんの人間観察はしてきたんですが、言葉の汚い人は(自分も含めて)大切にされてこなかった人だと思います。
赤ちゃんの頃から汚い言葉だなんて一般的ではないし、人は成長の過程で汚い言葉を身につけていく、と考えるのが自然ですよね。
私自身は、無理にいい子を演じていた反動で言葉が汚くなったわけですが、かまってほしくてわざと言葉を汚くすることもあるだろうし、親の言葉が汚くてきれいな言葉を知らない、ということもあると思います。
いずれにしても、適切な愛着形成がなされず、承認欲求が満たされないまま大人になった人たちが、言葉が汚い人たち、ということになると思うのです。
【きれいな言葉づかいのメリット】
いっぽうで、同じような環境で生まれ育ったのに言葉がきれいな人たちも存在します。
私の兄は私とちがって、穏やかで品のある言葉づかいなんですよね〜。
兄はきれいな言葉づかいのメリットを知っていたのかもしれません。
以下にメリットをあげてみます。
人から大切にしてもらえる確率が上がる
初対面の人でも、ちょっとのおしゃべりでその「人となり」をなんとなく判断しますよね。
言葉が汚い人には「それ以上関わりたくない」「警戒しよう」のようなネガティブなイメージを抱いてしまいますが、言葉がきれいな人は、少なくとも「ぞんざいに扱おう」とは思いません。
つまり、言葉がきれいってだけで人から大切にしてもらえる確率が上がるってこと。
逆に、汚い言葉をつかうのは、せっかく大切にしてもらえるチャンスを自らドブに捨てるようなものだと言えると思います。
感情のコントロールにつながる
汚い言葉をつかう時、感情的になっていることが多いです。
逆に考えれば、感情のコントロールができていないから、汚い言葉が出るのです。
きれいな言葉づかいをしようと思うと、同じ事柄でも、より客観的に考えようという意識がはたらき、冷静さを保つことができます。
以前、生きづらさのない人は感情のコントロールができているということを書きましたが(過去記事参照)
#2 生きづらさのない人ってどんな感じ?感情のコントロールが難しい人は、言葉づかいを意識するといいかもしれませんね。
ポジティブ思考になる
口から出る言葉は、まるで自分に投げかけられた言葉であるかのように脳は判断する、ということが脳科学で明らかになっているようです。
ふだんから発している言葉は、自分に返ってくる、ということ。
汚い言葉であれば脳はダメージを受け、きれいな言葉であれば脳はポジティブに受け止める、ということが言えるかと思います。
毎日つかう言葉だからこそ、その蓄積はきっと大きいですよね。
きれいな言葉の人と合うようになる
類は友を呼ぶ、と言いますが、言葉づかいでも、人は同じような人と付き合いたいと思うもの。
自分がきれいな言葉をつかえば、汚い言葉の人は居心地が悪くなって離れていくので、自然と付き合う人もきれいな言葉の人になっていきます。
同じ人生なら、自分を大切に扱ってくれる人に囲まれて生きていたいですよね。
言葉づかいに気をつけるだけでも、そういう人生に近づけると思うのです。
以上のことから、きれいな言葉をつかうだけで、ストレスから身を守り、自分を大切にする生活習慣が身につく、ということが言えるかと思います。
【言葉を選ぶことは人生を選ぶこと】
親は選べなかったけど、言葉は選べます。
きれいな言葉をつかうか、汚い言葉をつかうかは、自分の問題であって、それはもう親がどうとか関係ないんですよね。
過去には大切にされなかったとしても、自分だけは、自分を大切にできるんだから。
言葉づかいはその手段の1つ。
ストレスフルな人生がいいか、前向きな人生がいいか。
それは選べる、ということです。