母の日や父の日があるように、世の中には「親には感謝して当然」みたいな空気があります。
私はそのことで思い悩んだことがありますが、今はその必要はないと思うようになりました。
その理由をこの記事に書いてみたいと思います。
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【「親は正しい」という前提】
私が毒親育ちではないかと思っていることを、初めて夫に話した時、夫は「それは甘えじゃないか」と言いました。
いい年をした子が親に反発することは「わがまま」や「甘え」である。
それが一般的な考え方なんだと思います。
でも、それは「親は正しい」ということが大前提。
適正な家庭で育った人が他人の家庭なんて見る機会もないし、適正でない親がいるなんて想像もできない。
だから、親に感謝するのは当然のことだし、逆にそうできない人はおかしい、ということになるんですが、実際には適正でない親もいるし、そんな親に感謝できない人がいることも不自然なことじゃないんですよね。
(その後、夫は私の両親との交流を通して、私のことを理解してくれましたが。)
【自分の親は正しかったか】
自分の親を振り返ってみて、親として正しい姿だったかどうかを考えてみると、疑問符がつきます。
幼少期の愛着形成を怠ったこと、教育虐待で私をがんじがらめにしたこと、私を理解しようとしなかったこと。
「一生懸命」というだけで、自分たちの言動を省みることはなく、頑なに正当性を押し付けるような姿勢は、親として正しいあり方ではなかったように思います。
五体満足で産んでくれたとか、一緒にお菓子を作ったこと、毎日のお弁当などなど、感謝したい点もあるけど、それよりも圧倒的に苦痛だったことのほうが多い。
だから、正直言って、素直に感謝したいという気にはならないんですよね……。
【自己嫌悪する癖】
冷静に考えればそんな親だったのだけど、それでも私は、「(親にとって)いい子でいなきゃ」「自分の親は完璧なんだ」と思い込もうとして、親のよくない部分に目を向けずにきました。
自分を悪者にしても親を立てる、そんな思考の癖が、私の苦悩の原因だったと思います。
背景には、幼少時代から親に意見をするたびに悪者にされてきたことが関係していると思います。
親にとって都合の悪いことをすると、自己嫌悪するようにプログラミングされたようなもの。
だから親と絶交して以来、母の日や父の日になると、自分を責めたり、自己嫌悪したりしていたんだと。
【自己嫌悪が隠してる事実】
親に感謝できない。
それは真実であり、それ自体にいいも悪いもありません。
子育ての結果がそれなのだから、子の側の問題ではなく、むしろ親の側に問題がある。
そこから目を背けさせるために、自己嫌悪がはたらいているとすれば、自己嫌悪を無視しても真実を受け入れなければいけない。
すると、完璧ではなかった親だけでなく、そんな親を愚直にも信じていた自分、そして、自分を偽ってでもいい娘ぶりたかった自分にも気がつく。
それを自己嫌悪なんかでうやむやにしちゃいけなかったんですよね。
親の不完全さも自分の弱さも事実なんだから。
それを受け入れた時、感謝できないことで思い悩むことはないなって、開き直った自分がいました。
しょうがないよな、って。
そこからは、母の日や父の日に何の感情も抱かなくなりました。
「親には感謝すべき」と言った親の末路がこうなるとは、皮肉ではありますが、見返りを求めて子育てなんかしちゃダメなんだと思います。
子供から望んで生まれてくるわけではないのだから。
さて、親に感謝をしなくてもいい、という主張ではありますが、だからと言って、親のことを卑下していいわけではありません。
次回の記事では、そのことについて書いてみたいと思います。