以前の私は、嫌われることに恐怖心を抱いていました。
友達とのおしゃべりでさえ、空気を読んで相槌を打ったり、会話が途切れないように話をつないだり、飲み物を飲むペースを合わせたり……。
気をつかいまくって、後でどっと疲れる。
その割には会話の内容を覚えてなくて。
次第に友達と会うのが億劫になって、交友関係をほとんど失いました。
この記事で、そうなってしまった原因と対策をまとめてみたいと思います。
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【嫌われることへの恐怖心の原因】
幼少時代から、私は、突然わけもわからずキレる母や、機嫌を損ねると押し黙る父の顔色をうかがいながら生きていました。
キレる母も押し黙る父も、小さい私にはとても怖かった。
自然と「嫌われたら生きていけない」という感覚を持っていたと思います。
嫌われることへの恐怖心はそこからきていると思います。
大人になってからの私は、人の頼みを断れなかったり、媚びへつらったりするなど、自分を偽ったり自己犠牲を払うことで関係性を保とうとすることが多かった。
また、「嫌われているのでは」という疑念から相手と対立してしまったり、相手を遮断してしまったりしたことも多々あります。
嫌われないためにしていたことの全てが逆効果だったなと思います。
【『嫌われる勇気』を読んで】
私自身は、『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』という本を読んだことをきっかけに、自分の考え方が変わりました。
この本に出てくる青年がまるで自分のようで、泣きながら読んだのを覚えています。
親にそうしていたように他人の顔色をうかがって、自分をないがしろにしてきたのは自分だったと気づき、嫌われることへの恐怖心を克服することを決めました。
【自分だけは自分の味方でいよう】
そこで、私は「誰に嫌われたとしても、自分だけは自分の味方でいる」と決め、嫌われることを恐れない練習をしました。
犬の散歩で出会う人との会話、スーパーの店員さんとのやりとり、玄関先の勧誘を断る時……などなど、どんな小さな場面でも取り繕わないように意識しました。
嫌う・嫌わないは、人それぞれの考え方なのでどうしようもないですが、だからって自分の品格を落とすことはしちゃダメで。
言葉づかいや、気づかいの点で、自分に非がないようにも気をつけました。
次第に、相手の顔色を気にしすぎず、自分の本音を出せるような場面が増え、人と会話しても、以前のようにどっと疲れることがなくなりました。
そんな自分の成長を実感して自信もつきましたね。
嫌われることを恐れながら生きていた時よりも、自分のことが好きになりました。
結局は、間違ったコミュニケーションを身につけてしまっていたんだな〜と思います。
小さい子に教えるように、自分に教える。
何回もチャレンジして、そのたびに励まして、正しい方向へ導く。
それを、小さい時に、自分の親にしてほしかったですね。
だから、自分は「親に感謝しているか?」と問われると、よくわからないです。
次回の記事では、そのことについて書いてみたいと思います。