私が大学生の時にmixiが大流行したのですが、以来、アメブロ、twitter、Facebook、Instagramなど、いろんなSNSが登場し、個人の発信は当たり前のものとなりましたね。
私自身も、音楽活動をしていたこともあって、ライブスケジュールのお知らせや日記などにSNSを使ってきました。
気づけば20年近くSNSを使ってきたのですが、思い切ってやめてみました。
その理由をこの記事にまとめてみたいと思います。
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【SNS上の自分】
SNSを使うと、実際には何でもない自分でも、有名になったような、すごいと思われているような、そんな錯覚を簡単い味わうことができます。
文字や写真はいくらでも加工できますしね。
私自身、自分の価値や存在意義を確かめるために、いい反応を期待して投稿することが多かったです。
逆に考えれば、「自分には価値がないんじゃないだろうか」「私は生きていていいのだろうか」という不安が根底にあり、その不安を一瞬でも忘れるためにSNSを使っていた、とも言えます。
少しでも賞賛してもらいたくて、写真にこだわったり、目立つ内容を考えたり。
日常生活でも、神経質に掃除をしたり、ちょっと背伸びした食卓にしたりと、知らずに無理してたと思います。
それで褒められたとしても、見せかけの自分であって、本当の自分とは少し違う。
だから「いいね」をもらっても空虚で、満たされないからまた投稿するというのが、私のルーティンになってしまっていました。
【私がSNSをやめた理由】
そのことを意識し始めたのは、私が自分の心の問題に向き合い始めてからです。
ある時、自分に「本当は誰からいいねって言ってもらいたいの?」と問いかけてみて、愕然としました。
私はずっと「親に褒めてもらいたい、認められたい」という承認欲求をSNS上に求めていたんだってことに気づいたから。
生きづらさの原因が親であるなら親と距離を置かなければいけない、と思いながら、心の奥底ではずっと親を求め続けていたのです。
絶交しただけで親離れした気になっていたけど、これでは親離れしたことにはならない。
SNSをしている限り、私は他人を代理親にして、慰めてもらうことに依存してしまうのだと思いました。
それが、私がSNSをやめた理由です。
【SNSをやめた後はどうなる?】
SNSをやめた後しばらくは手持ち無沙汰で、退屈に感じていましたが、それだけずいぶん多くの時間を消耗していた、ということ。
断捨離フリマ活動に専念したり、お菓子を焼いたり、犬の散歩に時間をかけたりして、他人を意識しない、のんびりとした自分時間が持てるように。
結果的に、誰に褒められなくても、自分が心から楽しみ、満足できるように行動すれば、最初に書いた不安なんて払拭できるんだということがわかりました。
人間関係は、引越しと同時にSNSをやめたこともあり、表面的な付き合いがバッサリと切れて、本当に大切にしたい人が明確に。
手広く気にするのはとても疲れることですが、数人であれば無理しなくても大切にできます。
いつまでも気にかけてもらえるようにと次から次へとネタを探さなくていいし、他人の投稿にムダにざわつくこともない。
背伸びばっかの中身スカスカ生活よりも、自分の手の届く範囲を大切に味わえる生活のほうが穏やかで、生きやすいです。
【SNSは人間ホイホイ】
ランダムな報酬がもらえるものに対して、動物はモチベーションを高めるという実験があります。
SNSに投稿したからと言って、どの投稿も賞賛されるわけではないけど、時々すごくたくさんの反応をもらえる。
そのランダム性がSNSへの依存性を高めている、そして、それによって得られた広告収入でSNSは成り立っているということを考えると、SNSってよくできた人間ホイホイなんですよね。
生きづらい人ほどハマってしまうし、抜け出せないわけです。
それも加味した上で、SNSとの付き合い方を見直してみるといいと思います。
断捨離フリマ活動……という言葉が出ましたが、断捨離も生きづらさを克服する過程では必要なものだと思っています。
次回は断捨離について書いてみたいと思います。