#6 心のもやもやを放っておかない

以前の私は、心がもやもやする時、それを直視せずに、他人のせいにしたり自分を責めたりしていました。

その結果、後になって心を病んだり、トラブルに発展したり。

そういうことが重って、生きづらさになっていたと思います。

心がもやもやする時、心にちゃんと向き合うことで、そういった生きづらさは改善できるかもしれません。

この記事で、心のもやもやについて書いてみたいと思います。


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【心のもやもやが起きる時】

とえば、私は以下のような時にもやもやした覚えがあります。

  • 人からの誘いや依頼を断れなかった時
  • 不快な言動を受けたのに、その場で反応できなかった時

共通して言えることは、本当は「いやなこと」なのに「いやだ」と言わなかった時です。


【心のもやもやの根本原因】

んなことになってしまう根本原因は、子供時代にあります。

私の親の言うことは絶対で、拒否をするとかんしゃくを起こすため、私は「いやだ」と言えませんでした。

同級生からの無視や、担任のセクハラなど、トラブルがあった時も「我慢しなさい」と、まともに取り合ってもらえない。

反論には「子供のくせに」「ひねくれ者」と言われ、突っぱねられる。

そんな経験を積み重ねて、「どうせ言っても聞いてもらえない」と、自分の感情を押し殺すように。

代わりに「こういう反応をすれば気に入られるだろう」という言動をするようになりました。

それが私の対人コミュニケーションの基礎になってしまったんですね。

先に書いた、心がもやもやする時、私の頭の中には

  • 断って嫌われたくない
  • 不快だと言うのが怖い
  • いやだと言うと自分が悪者のように思う

のような不安と、

  • 引き受けたら、私の言うことも聞いてくれるかも
  • 不快と言わなければ、私から離れていかないよね

のような打算があり、「いやだ」という本音との葛藤が起きていました。

心のもやもやとは、思考と本音とが葛藤した時に起こるものと言えそうです。


【心のもやもやを放っておくと】

が自分の心のもやもやに向き合い始めたのは、37歳頃。

その頃には、不快なことを「不快だ」と認識することが難しくなっていました。

不快はあるのに、認識できないために、ずっと我慢をしている状態なのです。

だから、わけもわからず悲しくなって泣いてしまったり、常に疲労感を感じたりしていたんだと思います。

心のもやもやは、時間が経っても消えないで心に鬱積していくと私は思います。

放っておくと、どんどん自分の感情がわからなくなって、どんどん苦しくなって、辻褄を合わせようとしてちぐはぐな言動をとってしまうようになるんじゃないかなと思います。


【心のもやもやを言語化しよう】

んな心のもやもやを解消するために、私自身は、自分の感情に気づくトレーニングとして、心がもやもやした時にできるだけ言語化することをしていました。

「今なんでもやもやしているの?」

「今どんな感情?」

「それはどうして?」

という感じで、自分に問いかけてみるのです。

時には、自分の持っているどろりとした嫉妬心や、薄汚い執着心を直視しなくちゃいけない時もあり、自己嫌悪に陥りそうになりますが、それも自分として受け入れます。

自分ってなんてかっこ悪いんだろう。

ダサすぎ。キモっ。

……まぁ、いっか。

それも自分だ!

そんな感じで、ダサくてキモい自分を受け入れた瞬間から、世界の見方が変わります。

「世界にはステキな人がたくさんいて、学ぶことがたくさんあって、自分には伸びしろしかない!」

そう思うようになってから、以前より楽しく生きられるようになりました。

少し話がそれましたが、心のもやもやをなるべく丁寧に言語化することで、自分の感情に気づけるようになり、その結果、自分にとってより快適な言動を選べるようになります。

少なくとも、自分が不快になるであろう選択は回避できるようになるのではないかと思います。

最初はよくわからなくても、少しずつでいいので、自分に問いかけてみることが大切です。

自分に問いかける、という話題が出たので書きますが、私の中には私がもう1人いる感覚があります。

自分なのに自分じゃない誰か、というか。

次回のブログでそのことについて書いてみたいと思います。

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