私は小さい頃に自分の家で起きていたことは「ふつう」のことだと思っていました。
でも、自分が毒親育ちだと気づいてから、自分にとっての「ふつう」が世間一般ではそうではなかったんだと気づきました。
この記事で、私自身が思っていた「ふつう」のことを挙げてみたいと思います。
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【私の家では「ふつう」だったこと】
家族を大声で罵る
私が小さい頃から、母は家族に対して突発的に感情的になり、大声で罵ることがしょっちゅうでした。
だから、「感情的になる」ということは私の中では「ふつう」のことになっていました。
私が今の夫と結婚して思ったことは、家庭ってこんなに静かで穏やかなものなんだってこと。
自分だけが、感情的にギャーギャー騒いでいて、なんて恥ずかしいんだろうって思いました。
働かざるもの食うべからず
子供は勉強を、大人は労働をしなければ、その存在は認められないかのごとく、母は私の成績が悪いと人格否定に近い言葉で怒鳴っていたし、安月給の父を小バカにする発言をよくしていました。
そのため、「何かをして結果を出さない人には価値がない」と思うことが「ふつう」になっていました。
私は不妊治療を機に専業主婦になったのですが、働いていないことにも子供が授かれないことにも罪悪感を感じ、毎日のように自分を責めていました。
夫家族の「楽しく生きられればそれでいいじゃない」という考え方に、どれだけ救われたか。
存在そのものの価値を信じていないから、学歴や肩書きみたいなステイタスに頼りたくなる。
だから本当はやりたいと思ってないのに、そういうものを無理に目指して心が病んでしまうんだと思います。
休むことは悪いこと
先に書いたようなこともあって、両親は休みなく毎日働いていました。
私も毎日が塾と習い事で休日という休日はなかったのですが、時々学校に行くのがいやになって、嘘をついて休んだり、学校に行っても保健室に行ったりしていました。
そんなことを繰り返しているうちに、「休むことは悪いことだ」と思うのが「ふつう」になっていました。
大人になってからは、休日にぼーっとして過ごしてしまうと、罪悪感から自分を責めてしまったり、逆に休日にもスケジュールを詰め込んで、体調を崩してしまったり。
常に無理をしているのでストレスがずっとたまってて、ちょっとしたきっかけで爆発することもしょっちゅう。
ある日、夫に「なんで休日なのに休まないの?」と聞かれてハッとしました。
それまでは、休むことが怖かったんですよね。
【修正して上書きしちゃえ】
こんな感じで、育った環境や親の言動を通して構築された「ふつう」の概念が、自分の中にたくさんあります。
悪いことばかりではなく「社会に出て恥ずかしくないように」「路頭に迷わないように」など、いろんな意図があったでしょうけど、それがメンタルに悪い作用をしているなら、修正して上書きしなければいけません。
法律だって時代に合わせて変えていかないといけないんだから、自分のことだって年齢とともに変えていっていいじゃないですか。
大人になってしまった以上、新たに身につけるには繰り返し自己暗示するしかないので、私は心がもやもやした時にポジティブな言葉に変換して、自分で自分に言い聞かせることにしています。
最初はぎこちないと思いますが、、
励ましに、マザーテレサだか老子だかの言葉として有名なものを載せておきます。
「思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。」
「言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。」
「行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。」
「習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。」
「性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。」
つまり、気をつけることで思考は変えられるし、その結果、運命も変えられるってこと。
気をつけるって簡単なようで、なかなか辛抱のいることですが、筋トレみたいなもんで、繰り返すことでだんだんと楽にできるようになりますよ。
大切なのは、自分をあきらめないことです。
そうは言っても、私自身、自分が何かを我慢しているという自覚がまったくなくて、よくわからない心のもやもやに苦しんでいました。
次回の記事で、そのことについて書いてみたいと思います。