【親との関わり方】愚痴ばかり話す親への対策

私が親と絶交する前は、母からは週2〜3回のペースで電話がかかってきていました。

「声くらい聞かせてくれたっていいじゃない」と言うので、しぶしぶ電話に出ていましたが、声を発するのは母ばかり。

それも会話の内容はほとんどが愚痴。

電話は毎回1時間にわたり、電話のたびにどっと疲れていました。

この記事では、そんな親にどのように接するべきだったか、考えてみた対策をご紹介します。

以下のような人におすすめの内容です。

・親の愚痴の聞き役になっている

・親の愚痴を聞きたくない


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【愚痴の聞き役になってしまう原因】

我慢が当たり前になっている

音では「愚痴なんて聞きたくない」と思っているのに、どうして「やめて」と言えないのか、というところに根本的な問題があります。

私の母は自分の思い通りにならないことがあると高圧的な態度で家族を従わせていました。

そんな母のもとで育った私は「自分が我慢する」という生き方が身についてしまい、自分の「いやだ」という感情に気づくことすらできなくなっていました。

だから、ついつい愚痴を受け止めてしまう。

相手が親でなくても愚痴の聞き役に選ばれやすいのは、自分のそういった内在的な弱さに相手が反応しているからだと私は考えています。


親のお世話役になってしまっている

来、「そんなことないよ」「大丈夫だよ」と子を勇気づけ、子の安定したメンタルを養うのが親の役目。

ところが、メンタルが未熟な親は、自分の心の安定を子に依存します。

子のほうも、親の役に立つことで自分の存在意義を見出そうとするので、いつの間にか親のお世話役になってしまう。

世間でよく言われる「子供は親孝行すべき」という概念も、子にとってはプレッシャーに。

「愚痴を聞いてあげなきゃいけない」という義務感は、そういった理由で発生していると考えられます。


【愚痴の聞き役になってしまうことへの対策】

自分が我慢していることに気づく

もそも、自分が我慢していることに気づけなければ、いやなことを防ぐこともできません。

自分が我慢している時のシグナルとして、私自身は下のような体感があることに気づきました。

【自分の我慢のシグナル】

・心がもやっとする

・心がざわざわする

・なんだかわからないけどイライラする

・怒りっぽくなる

・声が上ずる

・奥歯を噛みしめる

・予定がなくなければいいのにと思う

・ぐるぐると考えてしまう

「なんだかわからないけど…」は「気のせい」とか「甘え」ではなく、自分からの「いやだ」というシグナルだったのです。

すると、これまで自分がしていた行動のほとんどが「すべき」・「したほうがいい」という動機でしていた我慢だったということに気づきました。

以来、自分のシグナルに気づいたら無理しないように心がけたところ、いやなことをする時間がなくなり、生きづらさがかなり軽減されました。

同じように、自分の「いやだ」という感情にいち早く気づけるようになれば、愚痴聞きやその他のいろんな我慢を回避しやすくなるはずです。


聞かないことに徹する

のためを思って愚痴を聞いているとしても、そのことがかえって親に悪影響になっていると考えたことはありますか?

愚痴は聞き手にとってはご存知の通り、ストレスの元凶となりますが、話し手にとっても悪影響があるという研究がなされています。

自分の体験でも思いますが、愚痴を言うといったんはスッキリしますが、根本的に解決できたわけではありません。

愚痴を言葉にすることでいやなできごとが記憶に定着してしまっているので、退屈な時に思い出すなど、何度もぶり返してしまいます。

そこで、もう一度スッキリした気持ちを味わいたくなるから、また愚痴を言うのです。

これって、薬物依存みたいじゃないですか?

そう考えると、愚痴の聞き手は(言い方は悪いですけど)薬物の密売人と同じ役割を果たしてることになります。

愚痴を聞く人がいるから、愚痴を言う人がいるのです。

つまり、愚痴をどうにかしたいと思うなら「聞かない」に徹することです。

話題を変える・聞きたくないと伝える・反応しないなど、聞かない努力をしましょう。

「愚痴は聞いてもらえないんだ」とあきらめてもらうのが一番理想的ですが、親が自分から変わらない限り、子のほうから親を変えることはできません。

自分が変わりましょう。


【まとめ】

なみに、以前は私も、夫に愚痴を言っていました。

夫は愚痴に対しては徹底して塩対応で、目の前で話しかけてるにもかかわらず、「うん」とも言わず、ガン無視。

最初は「聞いてくれるだけでいいのに!」と怒りがわいてきましたが、何度もそんなことがあるうちに「あ、また私は愚痴を言っているんだ…」と気づき、気をつけるようになりました。

後で夫に聞くと、「楽しく暮らせばいいのに、愚痴を言ってわざわざ家庭をいやな空気にしないでほしい」という気持ちだったそう。

愚痴が言えない今は、いやなことがあっても深く考えず、別の楽しいことに頭を切り替える、ということを意識しています。

それでストレスがたまるなんてことはなく、むしろ毎日楽しいです。

だから、愚痴なんて本当に必要ないんです。

悲観は気分 楽観は意思(フランスの哲学者、アランの言葉)

という言葉がありますが、愚痴を言う人も気分で生きていて、幸せな人生とは、自分以外の誰かが作ってくれるものだと思っているんだと思います。

自分から「楽しもう」と工夫や努力をしない人に、幸せは訪れません。

「愚痴を聞かない」ことは、幸せに生きるためのきっかけのひとつ。

前向きにチャレンジしてみてくださいね。

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