#2 親と絶交する

親育ちを克服するには親と絶縁しなければいけない、という考え方があります。

その考えの大元となっているのが、「毒親」という単語を世に生み出した、スーザン・フォワードの著書『毒になる親 一生苦しむ子供』だと思います。

私自身は、絶交した後でこの本を読み、「毒親」について学びましたが、結果としては絶交してよかったと思っています。

この記事では、そんな私自身の親との絶交体験談をご紹介します。

※私自身は、現在の法律上、実親との親子関係は消滅できないことから「絶縁」ではなく「絶交」という言葉を使っています。


【私の親との絶交 体験談】

は大学入学とともに親元を離れて暮らしていますが、母はしょっちゅう私に電話をかけたり、荷物を送ってきたりという過干渉タイプ。

私が生きづらさをきっかけに「自分は毒親育ちかも…」と思い始めた頃、実家に帰省した時に母から人格を否定される言葉を浴びせられました。

過去にも同じように罵倒されることが何度もあり、そのたびに反論してきましたが、いつも私が折れさせられてきたことに気づき、過去の苦しい感情が一気に噴き出してくる感覚に陥りました。

実家という場所で、フラッシュバックしやすかったのかもしれません。

涙と動悸が止まらず、過呼吸にもなりかけました。

その後、実家から逃げるように自宅に帰った、というのが親との絶交の始まりです。

そこから、親から荷物が何度も届き、そのたびに動悸やメンタル不調に。

わけもなく涙が流れ、浮かんでくる罪悪感や希死念慮に苦しみました。

やっとのことで「荷物を送らないで」とLINEで断り、半年ほど平和な時間を過ごしました。

ところが、コロナ禍になって再び荷物が送られてきました。

未曾有のパンデミックで融和ムードになっていた私は、一旦はそれを受け入れることに。

電話で日常会話ができるレベルになったと思ったら、気づいたら母のグチ電話に付き合わされていました。

そして、母からの強権的な発言があり、再び私はメンタル不調に。

「心を落ち着けたいから距離を置きたい」とLINEで伝えると、「産んだことも忘れます」と捨てゼリフが返ってきました。

その1年後、親族の葬儀で顔を合わせた際には、出会い頭に腕をつかまれ、親族一同の前で容姿をけなされました。

そこから数回、荷物が送られてきたのですが、消費しようと料理したものの、のどを通らなくなりました。

それをきっかけに、荷物を受け取り拒否して今日に至ります。


【毒親との絶交は必要か】

ちの親は、よくわからないタイミングで突然キレる、従わなければ不機嫌になる、失敗すると激しく非難するという人でした。

そんな親に育てられたら、自分を押し殺しても人の顔色をうかがってしまう、他人依存の生き方になってしまっても不思議ではありません。

離れて暮らしていても、親から電話や荷物が来れば敏感に反応し、無意識にも干渉を受けている状態は続いてしまう。

そのくせ、自分自身の感情にはまったく気づけないので、知らないうちにストレスを蓄積させてしまっていたんだと思います。

その蓄積が限界点を迎えたのが帰省の日だったというだけで、私が絶交したのは必然だったと思います。

絶交したいなんて思ったことはないけど、絶交して初めて、自分と向き合うための心のスペースができたので、私自身は絶交してよかったと思っています。

親自身も、絶交をきっかけに自分の人生と向き合ってくれているのが理想ですが、それは私の知るところではありません。


【絶交は自立の1つの形】

「親には感謝すべき」という社会通念があるため、絶交をためらう人は少なくないと思います。

では、親のために生きづらさを感じ、時に病んでしまうことは、社会人として正しいのでしょうか。

親と絶交することで、自分と向き合い、押し殺してきた感情や本当にやりたいことに気づくことができるなら、私は絶交というのは自立の1つの形として、評価されてもいいのではないかと思います。

それができないとすれば、しないことで得られるメリットに親も自分もしがみついているのかも。

冒頭の注釈に書きましたが、現在の法律上、実親との親子関係は消滅できません。

「いつでも関係は築き直せる」と信じて、絶交してみると、またちがった視点が得られるかもしれません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA