【毒親育ち実践ノート】人の悪口を言うのをやめる

【悪口を言うと心がざわつくワケ】

回のブログで、「他人をジャッジすることをやめる」ということを書きましたが、

【毒親育ち実践ノート】他人をジャッジするのをやめる

他人をジャッジすることと同じように、人の悪口もよく言っていました。

でも、悪口を言ってもスッキリするわけでもなく、言った途端に心がざわついて、もやもやしてしまう。

その理由を「脳は主語が認識できないから」と書いてある文章をネットで見つけて、納得しました。

他人に対して悪口を言っているつもりでも、口から出た言葉は音声として耳に入ってきて、自分の脳を傷つけるんだそう。

つまり、悪口を言えば言うほど、自分を傷つけるということになるらしいのです。


【悪口の背景にコンプレックスと承認欲求があった】

くやってしまっていたのが、テレビに出る人の容姿を見て「この人ブッサイクやな〜」とか言ってたこと。

夫はいつも悪口には無反応で、共感してくれなかったので、私はいつも「つまらないな〜」と思っていました。

でも、上記のことを知って、ささいな悪口も口に出さないよう心がけることにしました。

それでも、悪口を言いたくなる自分がいる。

なぜそう思うのかを考えたら、自分がコンプレックスを感じていることを他人への悪口に置き換えていることに気づきました。

上の例で言えば、他人の容姿に口出しをしたくなるのは、自分が自分の容姿にコンプレックスを感じている(もしくは過去に感じていた)からだったのです。

私は肥満だったのですが、最近になって筋トレをしたりして、ちょいやせ気味になったことを鼻にかけていました。

ぽっちゃりした人を見て「ブサイク!」と言う背景に、「私は努力してやせたからエライ!褒めて!」という承認欲求があったんですね。

また、

「ブサイクな自分は許されないのに、どうしてこの人はのうのうと生きていられるの?」

と、自分への厳しさを他人にも向けてしまっていたところがありました。

それに気づいてからは、悪口が頭に浮かんだら、逆に「自分はどうか」と考えるようになりました。

すると、人のことって言えなくなるんですよね。

「じゃあ、そんな自分でも大丈夫って許してあげよう」

そういう風に考えると、他人もそのままで大丈夫だよねってことになる。

自分を許して、他人も許す。

そんな考え方を続けていたら、自分にも他人にも優しい、穏やかな自分がそこにいました。


【まとめ】

自身は、幼少時代から何をやっても褒めてもらえず、次から次に要求が高くなっていったという教育環境に育ちました。

だから、自分にも他人にも厳しく、なんらかの高い期待をしてしまうようになったんだろうと思います。

他人への期待は必ず不平や不満を生みますし、それが悪口を誘発するのは自然なことですね。

単純に「悪口をやめよう」と思っても、期待を裏切られたという感情や、「自分は認められるべき人間だ」という承認欲求が背景にあると、やめることはできないと思います。

そう思うと、悪口は自分からの「気づいてよ」というSOSサインと言える。

そういう視点で世の中にあふれる誹謗中傷を見ると、社会的にメンタルケアが不足しているのかな、と思います。

悪口が頭に浮かんだら、自分の本音を問いかけてみる。

自分も他人も傷つけずに済む生き方はできると、私は思っています。

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