#10 疲れるSNSの使い方をやめる

【SNSは疲れる】

は音楽活動の発信のためにSNSを使っていますが、正直、SNSがすごくしんどい時期がありました。

しんどい理由の1つが、気をつかってしまうこと。

たとえば、いつも「いいね」をくれる人の投稿には「いつも気にかけてもらってるんだから、私も反応を返さなきゃ!」とか。

コメントをもらったら「気の利いた返事をしなきゃ」とか。

1つのコメントや返信をするのに、何十分もかかって考えてしまうこともあったりします。

反対に、発信やコメントをしたのに反応がない場合には、「無視されたのかな」なんてムダに傷ついて、被害妄想に陥ることも過去にはありました。

また、友人の投稿がマウントに感じてしまうのもしんどい。

不妊治療で病院に通っていた時は子供の投稿を見るたびに、授かれない自分への否定と、素直に喜んであげられない自己嫌悪を感じていました。


【SNSで寂しさを埋めようとしている】

の原因を自分なりに探ってみたところ、「愛着障害」という言葉を見つけました。

幼少期に適切な愛着を形成できないと、大人になってからも情緒が不安定だったり、人との距離感がうまく取れなかったりするようです。

うちは両親共働きで、昼間は家にはおばあちゃんしかいなかったし、私は日常的に寂しさを感じていました。

近所の大人たちに愛想をふりまくことで、その寂しさを必死に埋めようとしていたところはあったと思います。

いわゆる「かまってちゃん」というやつです。

それって、SNSで必死にアピールすることと、場所はちがえどやってることは同じ。

根底には寂しさがあり、寂しさを埋めるツールとしてSNSに依存しているから、人から嫌われるのを過剰に恐れたり、人の反応が気になりすぎるのです。

人の投稿がマウントに感じて被害妄想をしてしまうのも、自分がかまってちゃんだから。

被害者意識をもつことで相手からかまってもらえたという過去の経験がそうさせてしまうんだと思います。

確かに、私は小さい頃、嘘泣きや仮病でかまってもらったなぁ、と。汗


【SNSをやめてみる】

こで私は2週間ほどSNSを見ないと決めて、過ごしてみることに。

最初はすごく退屈でしたが、読書をしたり、お菓子を焼いたり、瞑想したり…

やりたいことがたくさん出てきて、生活が充実し始めてびっくり。

いかにSNSで時間を漫然と消費してしまっていたかと思いました。

投稿することもなければ他人のコメントの介入もありません。

人から「いいね」をもらえることはないけど、自分の中には確実な満足感が残ります。

人にかまってもらえなくても、ちゃんと自分で満足感を得られる。

それが自己肯定感であり、「自立」ということなんだと気づきました。


【SNSは対人のトレーニングに使う】

は言うものの、やっぱり人とコミュニケーションもとっていたい。

そう思った私は、SNSを「対人のトレーニング」にすることにしました。

反応を期待せず、過度に気にしすぎず、時にはスルーしたり、ライトにお返事したり。

しんどい時は通知があっても見ない。

そういう感じで、SNSとの距離感をつかめるようになれば、自分にとってちょうどいい人付き合いができるようになるような気がします。

また、自分の目標を発信して退路を断つとか、頑張っていることを記録していくとか、自分を高めるためにSNSを利用することはありだな、と。

翻弄されて疲れるような使い方ではなく、自分のブラッシュアップのために使っていきたいですね。

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