【毒親育ち実践ノート】親が変わってくれると期待するのをやめる

【絶交してもなお親を気づかう自分】

自身は、自分の生きづらさをきっかけに「毒親」という概念を知りました。

過干渉や支配的な言動など、自分の親にもあてはまるなぁ……と思ったものの、よかったこともたくさんあるんだから、自分の親はそうじゃないよね、と自分に言い聞かせていました。

それに、一生懸命育ててくれたんだからそういうことは思うべきじゃない、と。

でも、その後の帰省で屈辱的な暴言を受け、「やっぱり毒親だったんだ」と確信し、絶交に至ります。

それから、私は毒親に関する本や、メンタルケアに関する本を読み漁りました。

自分の生きづらさを解消したいという気持ちはもちろんあったけど、毒親である母自身が、なんらかの心の問題を抱えているのではないかと思ったからです。

私がきちんとした知識を得て、伝えることができれば、母を救えるのではないか……と。

自分自身、つらい過去がたくさんフラッシュバックしているのに、「母が悲しんでいるのではないか」「自分が間違っているのか」と考えて、苦しい時間を2年近く過ごしました。


【親を客観視したら現実が見えた】

んな胸のつかえがスッと取れた出来事が起きました。

絶交してから2年後、親族の葬儀で顔を合わせる機会がありました。

2年も絶交していたのだから、何か変わっているかもしれない。

かすかな期待と不安を胸に、葬儀場へ。

そんな私に出会って早々、母がしたことは、私の腕につかみかかり

「あんたね〜!!」

と親族の前で私をこき下ろすことでした。

何も変わっていないどころか、私が悪いと言わんばかりの態度。

察した親族の1人が、1日中私のそばにいてくれ、葬儀が終わると同時に逃げるように帰宅しました。

その様子を思い返してみて、親族はこれまで、うちの母がこういう人間だと知った上で、気分を損ねないように気づかい、穏便に済ませられるようにとお膳立てしてきたのだ、ということに気づきました。

どうりで、いつも親族たちは私に優しい言葉をかけてくれていたわけだ。

うちの家は江戸時代から代々続いていて、母は本家の長女。

周りから気をつかわれながら、わがままを押し通してきたのが母の生き方なのだ、と上のことから推測しました。

だから親族の前でも、平気で被害者ヅラして娘をこき下ろせるのだ、と。

そんな風に母のことを客観的に考えてみたことは、これまでになかったので、それができただけでも2年の絶交は意味があったのだと思います。

今まで絶対的存在だと思ってきた母の、子供じみた恥ずかしい姿と、それをフォローする周りの人々。

「私がいつもしてあげている」

そんな風に言っていた母は、裸の王様だった。

私は、初めて母の現実の姿を目の当たりにした気がしました。


【まとめ】

はどこかで「対等に話ができ、思いやりあえる存在」を母に期待していました。

だから、たくさん知識を得て、母を救いたいと思っていた。

でも、現実はちがったし、そんな風に私が母をコントロールできたとしたら、親子が反転するだけで毒は消えない、と思いました。

私が私らしさを主張するなら、母の母らしさを否定すべきではない。

期待をされたくない代わりに、期待もしない。

それが私たち親子の最善の関係だと、2年ぶりの再会を経て思いました。

あれからさらに1年経ち、期待する気持ちもすっかりなくなって、時々ふっと思い出すくらいになり、すごく楽に暮らせています。

「親子は仲良くあるべき」というのも思い込みで、そうでない関係があってもいいんだよね、と今では思っています。

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