【毒親育ち実践ノート】人と自分を比べるのをやめる

【人と自分を比べてきた半生】

自身は、親が公文式の先生だったこともあり、幼少時代から机に向かわされ、「いい大学に入らなければいけない」と言われてきました。

公文式の機関紙に、たった3歳で最終教材を修了したスーパーキッズなどが掲載されるたびに「この子みたいに……」と発破をかけられたものです。

中学に上がって成績が順位づけされるようになると、学年トップでないと「恥ずかしい」だの「夜も眠れない」だのと罵られ、定期試験のたびに屈辱的な言葉を浴びせられました。

次第に私自身も、人と比べて自分が上か下かという判断基準で、自分の良し悪しを評価するようになっていきました。

そのような考え方は、私の対人関係に大きく影響しました。

自分よりスペックが高いと思う人に対して、劣等感を強く感じ、劣等感をカバーするために意地の悪い考えばかりが浮かびました。

そのことで自己嫌悪に陥ることもしばしば。

逆に、自分より劣っていると思う人に対しては、知らず知らずのうちにマウントをとっていたんだろうな、とも思います。

人と接すること自体が、私には「戦い」みたいな感じになってて、めちゃくちゃ疲れました。

友達を友達と呼んでいいかどうかもわからない。

私には、敵か味方か、どちらかしかいないという感じでした。

結婚してからは、同年代の人が次々と母親になっていく中で、自分は子供を授からず、仕事をやめて妊活して、それでもダメで。

「自分は生きる価値のない人間だ」と思うようになりました。

人付き合いも億劫になり、SNSを見るのも苦痛で、社会から阻害されたような気持ちでした。


【人と比べることがなくなったら幸せだって気づいた】

の後コロナ禍になったのを機に、人付き合いもなくなったので、自分磨きに励みました。

結果を期待しては落胆し続けてしまう妊活もやめて、自分らしく生きられることを優先することにしました。

読書をしたり、筋トレをしたり、料理にこだわったり、音楽制作を頑張ったり……。

自分のことに一生懸命になっていたら、「人と比べてどうか」なんて、いつの間にかどうでもよくなっていました。

そもそも、幸せの基準というのは人それぞれだし、お金を得ても子供がいても、不幸な人は世の中にたくさんいる。

じゃあ一体、自分にとっての幸せとは何か。

コロナ禍になって、「不要不急でないものとは何か」をみんなが考えさせられたと思いますが、私にとってのそれは、毎日そばにいてくれる夫と犬との平凡な暮らしでした。

成功でも、お金でも、子供を授かることでもなかったし、誰かを出し抜いたり、誰かより豪華な暮らしをすることでもなかった。

それに気づいたら、自分はもう幸せなんだって思えたんですよね。

今では、自分よりスペックが高い人に会ったら、何か学べることはないかとワクワクするし、自分より劣っていると思う人には、何か力になれることはないか考えます。

だから、どんな人に会ってもフラットな自分でいられるし、対人関係が疲れにくくなったように思います。

まだまだ、十分に人付き合いができている状態ではないけど、今の自分なら以前よりもっと楽しんで人付き合いができると思っています。


【まとめ】

上のように、人と自分を比べても何のメリットもないことを、コロナ禍を経て学びました。

人と比べるかわりに「昨日の自分」と比べて、よりステキな自分になっているように、これからも自分磨きをしていきたいなと思います。

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