【毒親育ち実践ノート】よく思われようとするのをやめる

【「いい子の私」と「本当の私」との乖離】

は小さい頃から、「いい子」のふりをして生きてきました。

私の母はまったく褒めない人で、私は褒められることに飢えていたんだと思います。

特に、学校の先生や近所のおばちゃんなど、周りの大人から「いい子」だと思われることに対しては、要領よくやってきましたね。

学級委員にもよく立候補してたし、不真面目な同級生を見たら先生にチクってたし、常に成績上位に入れるよう努力もしてた。

「優等生」でいれば周りはチヤホヤしてくれたけど、逆に「優等生」でいなきゃ私の存在は認められないんだという脅迫観念もあったと思います。

そうやって小さい頃から「いい子」を演じてきた私は、大人になる頃には、本当の自分の感情に気づけなくなっていました。

「親の期待通りにしていればいつか褒めてくれる、私を認めてくれる」

はっきり意識していたわけじゃないけど、選んできた選択を後からふり返ってみれば、全部が親によく思われたいと考えて行動したことばかり。

でも、本当の自分の希望ではないから、人生はうまくいきませんでした。

「いい子の自分」は、職場などでの第一印象はずば抜けていいけど、だんだんしんどくなって、心が病んでしまう。

でも、嫌われたり、否定されることが極端に怖くて、本当の自分を出せない。

だから無理して取り繕って、ストレスが極限に達して、崩壊して終わり。

私がいつも対人関係に必要以上に疲労を感じていたのは、無理していたからなんでしょうね。

そういう感じで、私は就職しても長続きしなかったし、人に対していつも一線を引いて接する癖がついていました。


【よく思われようとするのをやめたら対人が楽になった】

ういう自分に気づけたのは、『嫌われる勇気』や『いくつになっても恥をかける人になる』などの本を読んだのがきっかけ。

↓レビューもあります。

いくつになっても恥をかける人になる 表紙【レビュー】中川諒 著『いくつになっても恥をかける人になる』 嫌われる勇気【レビュー】岸見一郎・古賀史健著『嫌われる勇気ー自己啓発の源流「アドラー」の教え』

自分が人によく思われようとして生きてきたこと、そしてそのことが自分の人生の足かせになっていたことに気づきました。

それ以来、人によく思われようとしている自分に気づいたら、

「自分のままで大丈夫!」

と自分に言い聞かせて、なるべくフラットな自分でいられるよう意識するようにしました。

たとえ人に嫌われても命まで奪われるわけじゃないし、自分に合わない人がいるように自分を合わないと感じる人もいる。

「自分をさらけ出してみて、いいかどうかは相手の判断だ」と思うようになったら、人に期待も執着もしなくなって、人と接しても以前みたいに疲れにくくなりました。


【まとめ】

常生活をする上で、対人関係を避けては生きていけません。

だから、対人関係の問題は「生きづらさ」に直結するものだと思います。

そもそも、ふつうの人がふつうに仕事して、ふつうに生きていけるのは、そんなに無理してないからです。(たぶん。)

「あなたはそのままでいいんだよ」と言われて育ってきた人と、「◯◯できなきゃダメだ」などと言われて育ってきた人とが、同じメンタリティなわけはなくて。

親の顔色をうかがうことがデフォルトになっているアダルトチルドレンには、人からよく思われようと無理してることがデフォルトになってる人も多いのではないかと思います。

だから、人間関係に対する「疲れ」や「ストレス」は、本当の自分が発しているSOSのシグナルと考えてもいいかもしれません。

自己を犠牲にしなくたって世の中はまわっていきますし、むしろ本当の自分を出していったほうが楽に生きられるということは、私自身が実感していることです。

疲れやストレスを「通常運行」だと思わずに、どこか自分が無理をしていないか、立ち止まって考えてみることが大切です。

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