【親から送られてきた荷物を捨てたその後】
前回の記事で、親から送られてきた荷物を捨てたことを書きました。

捨ててみた結果、目にすることもないので思い出すこともなく、メンタル的なリカバリーがめちゃくちゃ早かった。
正直、捨てた野菜に対する罪悪感はこれっぽっちも浮かんできません。
自分で買ってきた野菜を腐らせたら、あんなに後悔するのに。
自分にとって、親から送られた荷物の重要度なんて、その程度のものだったんだと確認できました。
捨てた時は一大決心だったし、しばらくどんよりとした気分でいましたが、そんな私に心境の変化が起こりました。
【連鎖的に断捨離が始まった】
荷物を捨てたら、今度はふだん使っている食器が気になるようになったのです。
お気に入りでもなんでもない、「まだ使えるから」という理由だけで、実家から持ってきたもの。
これを機に、一掃することにしました。
毎日使うものだからこそ、お気に入りばかりにしたい。
そう思って、食器を新調。
そしたら、食事がさらに楽しみになって、毎日がぐっと快適に。
これが「自分を大切にすることなんだ!」と実感しました。
食器は一例にすぎず、生活のあらゆる部分を見直そうと「断捨離」がしたくてウズウズ。
はからずも、親からの荷物を捨てたことで私の中でいろんなことへの「踏ん切り」がついたようです。
とはいえ、一度にすべてを新調することはできないので、今後の楽しみとして少しずつアップデートしていけたらいいなと思っています。
【子には取捨選択する自由と権利がある】
親から届く荷物以外にも、親から受け取ってきた不要なものってたくさんあるんですよね。
思想、信条、思い込み、お金の概念、男女の概念、善悪の判断基準、価値観などなど……
遅かれ早かれ、相続の問題とかも出てきたりするんでしょう。
親の時代には合っていても、現代には合わないことも多い。
そもそも親自体が正しいとも限らない。
子には、それを取捨選択する自由と権利があります。
そして、その選択を自分でして初めて、自分の人生に自分で責任を持てるのだと思います。
荷物を捨てたことによって、そのことに気づけたことが一番よかったです。
あてがわれたままに受け取ってきたから、ずっと親の干渉から離れられなかったんだな、と。
自分で選べば「親のせい」にすることもない。
こんな気づきを得られるなんて、荷物を送ってきた親にグッジョブ。笑
これからまだまだ私の人生が変わっていきそうで、ワクワクしています。