【アダルトチルドレン克服】「死にたい」と思うたびに自分の人生を生きるために前進できている

【時々ふと死にたいと思ってしまう】

は、この記事を書いている現在、子供のいない専業主婦。

家事をしたり、犬の世話をしたり、音楽制作をしたりしながら暮らしています。

すごく裕福なわけではないけど、節約を考えたりするのは楽しいし、好きなことをして暮らせている毎日をありがたく感じています。

それなのに、時々ふと「死にたい」と思ってしまう自分がいます。

それはなぜか。

考えたことを書き出してみたいと思います。


【エゴと本音とのズレが私に「死にたい」と思わせている】

供時代、私は学校から帰るなり勉強をさせられるような家庭で育ちました。

日々の勉強のノルマをこなさなければ、自由を許してもらえませんでした。

勉強以外のことにはお金は出さない、と言われました。

いわゆる「教育虐待」ですね。

そのおかげで、私は自分のことを「何かをしてなければ生きていてはいけない存在」と考えるクセがついてしまったのだと思います。

その私が、専業主婦になったのは、職場でのストレスを家に帰っても引きずってしまっていたから。

夫から「もう働かなくていいから、いつも笑っていてほしい」と言われました。

そうして晴れて(?)専業主婦になったものの、「お金を稼がなければ私は生きている価値がない」と無意識に思ってしまうのでしょうね。

今や親とも絶交しているにもかかわらず、やたらと家事に躍起になったり、事あるごとに自分の行動の正当性を確認したりして、ずっと感じている「親に対する引け目」から逃れることができないのです。

親の望んでいた、キャリアウーマンとは違う自分を生きていること。

本当はそんなの望んでいないのに、親の代わりに、私の思考のクセ「エゴ」が私を責め立てているのだと思います。

そして、エゴと本音のズレによる苦しみから逃れたいために、「死にたい」という言葉になって私に浮かんでくるのかな、と。


【死にたいと思うことを肯定的にとらえる】

能として「死にたい」と願う動物なんていないわけだし、本当の自分はちゃんと生きたがっていると思うのが自然。

それなのに「死にたい」って苦しくなるのは、自分が変化しつつあることにエゴがとまどってるからだという考え方ができます。

つまり、自分が親の敷いたレールからはずれた場所にいるという何よりの証拠。

自分の人生を生きるために前進できているってことです。

それなら「死にたい」って思ってしまうことを肯定的にとらえられますね。

かと言って、エゴをだまらせることはできないし、これからもきっと「死にたい」とは思ってしまうでしょう。

でも、いつかエゴですら認めざるをえないほどの自分の人生を生きてみたいです。

だから、死んでる場合じゃないですね。