絶交して「母の日」がつらくなったら考えること

【母と絶交して以来、母の日がつらくなった】

自身は、2019年の5月、母の日の1週間前に母と絶交しました。

それ以来、テレビやお店で「母の日」の特集を見るたびに

ふつうの親子として

ふつうに感謝して

ふつうに付き合いたいだけなのに

私にはできない……

と、つらい気持ちになりました。

母の日は、私にとって母に対する怒りや悲しみを思い出し、自分への嫌悪感でいっぱいになる日

だから、母の日なんかなくなればいいのに、と思っていました。


【母に感謝しなければいけないという前提を疑う】

れから3年の時を経て、1つ浮かんだ疑問。

それは、私は本当に母に感謝しているのだろうか?ということ。

世間的には、母親に感謝することは常識であり、正義であるかのように語られます。

学校で強制的にカーネーション的なものを配布され、母の日に強制参加させられた人も多いのではないでしょうか。

「母に感謝しなければいけない」という概念は、そうして刷り込まれてきたのです。

実は、私は3才になる頃には「お母さんキライ」と本人に言うくらい、母が嫌いでした。

母は、わが家に君臨する女王のような存在でした。

実母である祖母には罵声を浴びせ、父のことは尻に敷き、私と兄を勉強で縛りつけていました。

それなのに、母の日が来るたびに「母には感謝しなくちゃいけないんだ」と思わされてきたわけです。

「母が嫌い」という本当の気持ちは、心にしまっておかなければいけない。

そうして、いつの間にか、私は自分の感情に気づけなくなってしまいました。

そのように「母の日」は、アダルトチルドレンには同調圧力のように感じられてしまいます。

本来は、感謝することも絶交することも、自分が決めていいのです。

母の日がつらい人は、感謝すべきという前提がまちがっているかもしれませんね。


【犬は母犬に何もしない】

について考えてみれば、もっとシンプルです。

犬は母犬に何かするでしょうか?

群れとして協力することはあっても、「母だから」ということではないでしょう。

もらった命を大事にし、下の世代につなげていく。

それ以外に、子がすべきことはありません。

そう考えれば、

「母の日なのに何もしてもらえなかった」

などと、不満を言う人間がこっけいに思えてきます。

そういう人は「母に感謝しなければいけない」という思い込みを、「自分が母になったんだから無条件で感謝されるべきだ」と都合よく歪曲してきたのではないでしょうか。

実際に、私の母は自分は感謝されるべきだと言っていました。(ところが、母が祖母に感謝するのは見たことがありません。)

今から思えば、母は私に対して傲慢(ごうまん)でした。

犬も、幼少期に威圧的なしつけをしていると、メンタルが不安定な犬になるのですが、まさに私がそのような状態だったのです。

それでは、感謝どころか、ふつうに付き合うこともできないですよね。


【絶交して母の日がつらくなった人へのアドバイス】

れでも、私は母に感謝します。

今日生きて、日常を暮らせるのはこの身あってこそ。

だから、心の中で感謝し、「母に祝福がありますように」と願います。

そうすることで、自分自身がいい気持ちになれるからです。

感謝や祝福をすることは、メンタルトレーニングとしてもよく取り入れられることですし、アダルトチルドレンにも効果があると思います。

でも、感謝はしても、母のことは嫌いです。

それは生理的なものだし、意図的に変えることのできない、私にはどうしようもないこと。

無理に否定することは、自分自身を傷つけることになるので、否定しません。

無理に母に近づこうとせず、自分が穏やかで生きられる暮らしを大切にします。

前述したように、与えてもらった自分を大事にすることが、与えてくれた母に対する最大のリスペクトだから。

そう考えれば、母を好きになれないことも、母との絶交も、肯定的にとらえられます。

私のように、母と絶交して、母の日がつらい・しんどいと感じる人もいると思います。

でも、自分自身を大事にすることが母に対するリスペクトなのだと考えれば、母の日をつらいと思う必要がないことがわかるでしょう。

そのうち、母と向き合ってもいいと思える自分と出会えるかもしれません。

それまで焦らず、自分を大事に生きていきましょう。

すべての子にとって母の日が、心穏やかで、祝福の気持ちに満ちた日でありますように、願っています。